不世出の人「美空ひばり」

AI美空ひばりについて、賛否両論があるという。

それについて私は、「倫理観については正直わからないが、改めて美空ひばりという歌手の凄さを再認識した。」という意見。


批判については、死者への冒涜だ、これはファンのためというより、プロジェクトに関わった人たちの自己満足なのではないか、とか、辛辣な意見も目にした。一方で、何百人(何千人?)ものスタッフが様々な苦労を経て今回のAI美空ひばりを作り出した、その技術や労力は、本当に大変な作業だったということも理解できる。そして何より「あれから」を聴いて私は泣きましたから、反対派からは石を投げつけられてもおかしくないかも。


今現在私たちが「普通」「当たり前」だと思っているモノやコトが、50年前、100年前では夢のまた夢だった。また、それが当たり前の世の中で、それなりに皆生きてきたということでもある。私は5年以上前に仕事で中国に出張に行ったことがあった。その際に宿泊したホテルの窓から見えた、山東省のある地方都市の光景が、まるで昭和30年代~40年代前半頃の日本の東京都心部の様子(写真などで見たもの)と激似していたのが、今でも強く心に残っている。さながら「Always三丁目の夕陽」の世界観のような。昭和のその時代に生きた人は、毎日こういう風景を普通に見ていたんだろう。でも、その暮らしや生活の中で「もっと便利に」「もっと進歩的に」と人々が望む声に突き動かされて、世の中は進歩していったのだろう。AIもそんな進歩の一つであるのだろうと。


今回のAIの試みは、稀代の歌姫の歌声を再現したが、例えば病気や事故等で声を失った人、生まれつき言葉が不自由な人を、AIの技術をもってその声を再び蘇らせることもできるかもしれない。今はできなくても、50年後、100年後には当たり前になっているかもしれないし、私たちの想像を超える発展で、人類に幸福をもたらす可能性も大いにある。だから私は技術的な試みとしてのAI美空ひばりは否定しない。


ただ、完成した作品としての「AI美空ひばり」「あれから」(あえてこの言い方にします)は、

「惜しい」

お前泣いて聴いてたくせに何言っているんだと言われても仕方がないのだが、なぜ泣けたかというと、ひばりさんの声を気の遠くなる作業で、本物そっくりに再現し、もし、ひばりさんがまだ存命だったら、80歳を超えていただろうか、歌のために多くを犠牲にして一生を捧げて、50代前半で亡くなってしまった「殉死」にも感じられるようなひばりさんの生き様が蘇ってきて、泣けたんじゃないかと、今は思う。ひばりさんが活躍した時代が昭和じゃなかったらもう少しのびのび活動できたんじゃないかとも思うけれど、それはもうどうにもならない話であって。


「あれから」という曲は、本当にスタッフさんが一生懸命作ったのだろうけれど、中でも作詞した秋元さんには申し訳ないが「秋元さんは10代20代の若い人が歌う曲がやはり一番しっくりくる」なという印象なのだ。平成はじめにヒットした「川の流れのように」も、部分的には良いのだが、全体だと蛇足だったり、理屈っぽいというか「歌」の世界観にフィットしていない箇所があるように思えてしまっていた。ううむ、だがこれは作詞家と作曲家、編曲、そして歌手との相性というものもあったのだろうか。際どい思春期の欲望をあっけらかんと世の中に送り出して、それを認めさせた功績はすごいと思うのだけれど。他の歌手が「あれから」を歌っているのを聴く分には全く問題ないのだけれど、なんだろうこの違いは。


そして、私なりの結論(結論づけることもないのだが)としては、こんな感じ。


「これだけ多くの人の苦労や努力、時代の最先端の技術や英知を集結させても、本物の美空ひばりには敵わないということ。それだけひばりさんの才能が秀でていたということ。でも、このAIがきっかけて美空ひばりを今まで知らなかった人や、改めて聴いてみたいという人が増えて、CDを買ったり、カラオケで歌ったり、配信DLなどで曲を聴いていく、ということで良いんじゃないか」


なお、私の好きな美空ひばりの曲は「柔」「真っ赤な太陽」「人生一路」この3曲でございます。